年金は何歳から受け取るべきか|繰上げ・繰下げ・65歳を5つの視点で選ぶ最適受給戦略


公的年金は原則65歳から受け取れますが、実は60歳から75歳までの間で、受け取り始める時期を自分で選べます。「よく分からないから、なんとなく65歳で」と決めてしまう人は多いのですが、これはかなり危険です。在職老齢年金や加給年金、そしてご自身の役員報酬の設定との兼ね合いを考えずに受け取ると、数百万円単位で損をしてしまう可能性があるからです。
受給開始を早める「繰上げ」も、遅らせる「繰下げ」も、一度請求すると減額・増額された率は生涯変わりません。だからこそ、慎重な判断が必要です。この記事では、繰上げ・繰下げの仕組みを整理したうえで、受け取り時期を考えるための5つの視点と、最適な受給戦略を解説します。
年金の基本と「繰上げ・繰下げ」の仕組み
日本の年金は2階建てで、1階が国民年金(老齢基礎年金)、2階が厚生年金(老齢厚生年金)です。会社経営者や会社員は両方を受け取れます。受給開始は原則65歳ですが、前倒しする「繰上げ受給」と、後ろ倒しにする「繰下げ受給」を選べます。
繰上げ受給は、1か月早めるごとに0.4%減額されます。60歳まで早めると0.4%×60か月で24%減となり、本来の76%の金額が一生続きます。老齢基礎年金と老齢厚生年金は同時に繰り上げる必要があります。一方の繰下げ受給は、1か月遅らせるごとに0.7%増額され、最大の75歳まで繰り下げると0.7%×120か月で84%増になります。繰下げは基礎年金と厚生年金を別々に設定できます。いずれも、一度請求したら増減率は生涯変更できません。
| 受給開始 | 金額の変化 | 特徴 |
|---|---|---|
| 繰上げ(60〜64歳) | 0.4%/月の減額(60歳で24%減) | 早くもらえるが一生減額。基礎・厚生は同時 |
| 原則(65歳) | 増減なし | 標準 |
| 繰下げ(66〜75歳) | 0.7%/月の増額(75歳で84%増) | 多くもらえるが開始が遅い。基礎・厚生を別々に可 |
金額のイメージをつかむために、本来65歳で月15万円(年180万円)を受け取れる人を例にとります。60歳まで繰り上げると24%減で月約11.4万円に、逆に70歳まで繰り下げると42%増で月約21.3万円になります。75歳まで繰り下げれば84%増の月約27.6万円です。毎月の差は数万円でも、受給は一生続くため、総額では数百万円から一千万円以上の差になり得ます。だからこそ「何歳から受け取るか」は、老後の家計を左右する重要な意思決定なのです。
視点①:健康・寿命の見通し
年金は「長生きによる資産枯渇リスクへの保険」という性質があります。損益分岐点でみると、60歳と65歳開始の分岐は約81歳、65歳と70歳開始の分岐は約82歳です。ここで重要なのが「平均余命」の考え方です。65歳時点の平均余命は男性で約19年、女性で約24年。つまり65歳まで生きた人は、平均して男性84歳・女性89歳まで生きる計算になり、分岐点を上回ります。平均的には、繰り下げたほうが生涯の受給総額は多くなる可能性が高いといえます。
ただしこれは平均の話です。健康に不安がある方や、家系的に長生きの傾向が強くない方は、早めに受け取り始めたほうが結果的に得をするケースもあります。また、繰下げで年金額が増えると、その分だけ所得税・住民税・社会保険料の負担も増えるため、手取りベースの増加率は額面ほど大きくならない点にも注意が必要です。
視点②:在職老齢年金(経営者は特に要注意)
60歳以降も役員報酬を得たり働き続けたりする場合、「在職老齢年金」の仕組みで年金が減らされることがあります。年金の基本月額と総報酬月額相当額の合計が基準額を超えると、超えた分の半額だけ年金が支給停止になる仕組みです。
この基準額は毎年見直され、2025年度の51万円から、2026年度は65万円へと大きく引き上げられます。たとえば賃金46万円・老齢厚生年金10万円の場合、2025年度は基準51万円を超えた分の半額(2.5万円)が止められ、受け取れる厚生年金は7.5万円でした。しかし2026年度の新基準では全額受給でき、賃金がさらに9万円増えても減額されません。繰上げ・繰下げを検討する際は、自分の役員報酬の設定額とこの基準額とのバランスを必ずシミュレーションしましょう(役員報酬の決め方は役員報酬の最適額の考え方も参考になります)。
注意点が2つあります。1つは、ここでの賃金はボーナスを含めた年収の12分の1で判定される点。もう1つは、在職老齢年金で支給停止になっている部分は、繰下げても増額の対象にならない点です。本来10万円のうち2.5万円が止まっているなら、0.7%ずつ増えるのは実際に受け取れている7.5万円の部分だけ。止まっている分はいくら待っても増えません。
現役で高い役員報酬を取り続ける予定の経営者は、せっかく繰り下げても「増えるはずの部分が支給停止で増えない」という事態になりがちです。そうした場合は、年金受給が本格化するタイミングに合わせて役員報酬を調整する、あるいは報酬ではなく退職金や配当など別の形で受け取る設計にする、といった工夫で、年金の支給停止を避けられることがあります。年金・役員報酬・退職金はセットで考えるのが、経営者の受給戦略の要です。
視点③:他の年金との兼ね合い
繰上げ受給を始めると、その時点で65歳に達したものとみなされ、いくつかの社会保障上の権利を失います。最も影響が大きいのが障害年金で、繰上げ後に障害状態になっても、原則として事後重症による障害基礎年金を請求できなくなります。持病がある方や健康に不安がある方は、このリスクを重く見る必要があります(障害年金の基礎知識)。また、65歳までは遺族厚生年金と老齢基礎年金を同時に受け取れず、どちらかを選ぶことになります(遺族年金の受給ルール)。寡婦年金も、繰上げ受給をしていると受け取れません。
さらに経営者に知ってほしいのが「加給年金」です。生計を維持している配偶者がいると年間約40万円が加算されますが、これには落とし穴があります。繰上げても加給年金は65歳まで前倒しされず、逆に繰下げ待機中は一切受け取れないうえ、待っても1円も増えません。最悪の場合、繰下げを待っている間に配偶者が65歳になると受給権そのものが消滅し、もらえるはずだった分をまるまる失います。配偶者が年下の方は特に注意してください。
たとえば配偶者が3歳年下なら、本人が65歳になってから配偶者が65歳になるまでの約3年間、加給年金として年約40万円、合計で約120万円を受け取れる可能性があります。ところが本人が年金を70歳まで繰り下げてしまうと、この加給年金は待機期間中に受け取れず、増額もされません。繰下げによる増額メリットと、取り逃す加給年金とを天秤にかけて判断する必要があります。
視点④:インフレリスク
繰上げには見逃せないメリットもあります。それがインフレへの備えです。近年は物価上昇が続き、現金の価値は相対的に目減りしています。公的年金には物価や賃金に合わせて支給額を改定する仕組みがありますが、「マクロ経済スライド」によって上昇分がそのまま反映されず、実質的な価値が目減りする可能性があります。受給開始を遅らせて額面を増やしても、その間に激しいインフレが進めば、実質価値は期待ほど増えないかもしれません。早めに現金で受け取り、株式や投資信託などで自分で運用するという考え方も、選択肢の一つです。複利の効果は時間が長いほど大きくなるため、60代前半から受け取った資金を長期で運用に回せば、繰上げによる減額分を補って余りあるリターンを得られる可能性もあります。もちろん運用には元本割れのリスクが伴うため、「確実に増える繰下げ」を取るか「自分で運用して増やす」を取るかは、リスク許容度と相談して決めることになります。
視点⑤:制度改悪リスク
最後は将来の制度変更リスクです。日本の年金は、少子高齢化を背景に、支給開始年齢の引き上げや給付水準の抑制が繰り返されてきました。かつて厚生年金の支給開始は55歳でしたが、段階的に60歳、65歳へと引き上げられてきた歴史があります。今後さらに引き上げられたり、給付水準が下げられたりする可能性は否定できません。制度が変わってから後悔するより、現行制度の中で確実にキャッシュを手にしておくことも、一つのリスク管理といえます。
もっとも、過度に恐れて早まる必要もありません。すでに受給を始めた人の増減率は、原則としてその後の制度改正の影響を受けにくいという安心感もあります。重要なのは、「将来さらに不利になるかもしれない」という前提も判断材料の一つに入れたうえで、健康や家計といった他の視点とあわせて総合的に決めることです。
最適な受給戦略──判断の3指針
ここまで5つの視点を見てきましたが、全員にとっての正解はありません。自分の状況に当てはめて判断することが大切です。最後に、判断のための3つの指針を挙げます。
- 自分と家族の健康・寿命の見通し:両親や祖父母が長生きなら繰下げ、短命傾向なら繰上げか65歳が無難。
- 65〜70歳の生活費を年金以外で賄えるか:賄えるなら繰下げが現実的な選択肢になる。
- 加給年金・在職老齢年金など個別の状況:配偶者の年齢、在職予定、退職金の有無などで最適解は変わる。投資に抵抗がなければ、繰上げで早く受け取り運用に回す手もある。
繰上げを積極的に選ぶ考え方は年金繰り上げ受給は60歳が合理的?で、退職金とあわせた出口の設計は退職金の受け取り方と出口戦略で詳しく解説しています。
まとめ
年金は60歳から75歳までの間で受給開始を選べ、繰上げなら0.4%/月の減額、繰下げなら0.7%/月の増額となり、いずれも一生変わりません。平均的には繰下げが有利な一方、健康状態・在職老齢年金・加給年金・インフレ・制度変更という5つの視点次第で最適解は大きく変わります。特に経営者は、役員報酬と在職老齢年金の基準額(2026年度は65万円)、そして加給年金の扱いを必ず確認してください。「なんとなく65歳」で決めず、自分の状況に合わせて受け取り方を設計することが、数百万円の差を生みます。
年金の受給戦略や、役員報酬・退職金と組み合わせた手取りの最大化については、税理士が動画でより詳しく解説しています。あわせてご覧ください。



